大アルカナ | DIREIS

エンペラー

星座「白羊宮」 

(リーダーシップ 権威 父親 安定した立場 共通の理解 信頼感 普及する 年寄の考え)

4の数字は普及と平均化に関係する。3の創造性を普及させるためには、基盤や安定性をしっかりさせなければならない。

このカードは、二つの象徴のコントラストが「支配」を象徴している。

一つは「雄羊」で野生の弧高と勇気を、もう一つは「子羊」で臆病さと素直さである。

皇帝は法律と秩序にかなった伝統的な正しい姿勢で足を組んですわってにいる。手にした球体の上にあるマルタの十字は女帝の王冠にあるものと同じもので、王室の威厳を象徴している。

彼の脇と手にした杓の先にある牡牛の頭は、動物界・物質界との結びつきと、リーダー、個人主義者である牡牛座を表わしている。

足元にうずくまっている子羊は勇猛な野生の雄羊が飼い慣らされたものであり、社会によって外から押し付けられる責任に常に耳を傾けている人々の従順さを示している。

カードの赤は、牡牛座の火の質であると同時に物質界との結びつきを示している。

このカードは、「雄羊」が権力者によって飼い慣らされたことが全体で現わされているのである。

ユリ紋と盾に描かれた二羽のワシのシンボルは、エンプレスのカードと同じもので、エンプラーとエンプレスは夫婦であり、お互いを見つめているが、成熟した男性性と女性性という両極を表している。

エンプレス

惑星 「金星」

(慈悲 生産性 豊かさ 休みない活動性 上品さ)

3の数字は、生産的な創造性が発揮されることを表す。2の数字の段階では生産性がなく不毛なものですが、3になると果てしなく生み出す。

3は次の4の数字が来ることで、その生産性に終止符が打たれるのですが、4が来ない限り、節目無く流動し続けるような性質があり安定しない。生み出すのは3で、育てるのは4。

最も高次な形では、慈悲、つまり、無条件に愛することの究極の姿で、どんな体験であれ、それがあるがままにまかせ、スペースを与えるという、慈しみに満ちたエネルギー。

『ギリシャの地母神ディーテル、また愛と美の女神ビーナス。彼女は、伝統的な受け身の姿勢で腰を下ろし、女性性のパワーと知恵の花青い蓮を右手に持ち、ハートの上に置いている。膝の上に置かれた開かれた左手は寛容力を表し、彼女は、与え、受け取る能力と、他の人々と自分の世話をする能力のバランスが取れていることを示している。鳥は女性的なエネルギーの様々な側面を表し、スズメは感受性を、鳩は安らかさを、ペリカンとその赤ちゃんは、すべての自然界での血族の継承を、盾に描かれた二羽の白いワシの紋章は、内面と外面の受容の象徴を表している。』

女教皇

惑星「月」 処女であり、性的でない陰のエネルギー

感受性 直観 精妙なエネルギー テレパシー

彼女は処女なる女神アルテミスであり霊的にはイシスである。彼女は冷たく輝く光の霊のベールを身にまとっている。上半身は、彼方のものを感じ取るアンテナのような曲線の形で、下半身は、頑丈で岩のようであり、力強い直線が下方へ伸びて、天から受け取ったものを地上の次元の現実へ根づかせている。

膝の上には、猟師でもあったアルテミスの魔法の弓が置かれている。種のさやは形の始まりを示し、果物と花は自然な充足を示している。

クリスタルは、こうしたエネルギーの使い方がもたらすクリアな感覚を、ラクダは、外側からの供給なしに、不毛な大地を長旅するための象徴。

活動するための場を決めることがゼロだとすると、その中で行為を始めるのが1の数字。しかしこの行為はどこという具体的方向性を持たない。この具体的方向性に2の数字がかかわる。しかし、自分の意志で方向を選択するのは、3の数字であり、2の段階では、自分では選ぶことはできず、意識できないもの。本能的なもの、そうした過去に蓄積されたものによって、自動的に行為が方向づけられる。

女教皇は、そうした心身の奥に潜む可能性を意味している。

『女教皇は、天と地、意識と無意識という領域を結びつけるものであり、霊感をもたらすもの、あらゆる直観的知識の源泉、そこを通って神が地上に現れる道である』

女教皇

惑星「月」 処女であり、性的でない陰のエネルギー

感受性 直観 精妙なエネルギー テレパシー

彼女は処女なる女神アルテミスであり霊的にはイシスである。彼女は冷たく輝く光の霊のベールを身にまとっている。上半身は、彼方のものを感じ取るアンテナのような曲線の形で、下半身は、頑丈で岩のようであり、力強い直線が下方へ伸びて、天から受け取ったものを地上の次元の現実へ根づかせている。

膝の上には、猟師でもあったアルテミスの魔法の弓が置かれている。種のさやは形の始まりを示し、果物と花は自然な充足を示している。

クリスタルは、こうしたエネルギーの使い方がもたらすクリアな感覚を、ラクダは、外側からの供給なしに、不毛な大地を長旅するための象徴。

活動するための場を決めることがゼロだとすると、その中で行為を始めるのが1の数字。しかしこの行為はどこという具体的方向性を持たない。この具体的方向性に2の数字がかかわる。しかし、自分の意志で方向を選択するのは、3の数字であり、2の段階では、自分では選ぶことはできず、意識できないもの。本能的なもの、そうした過去に蓄積されたものによって、自動的に行為が方向づけられる。

女教皇は、そうした心身の奥に潜む可能性を意味している。

『女教皇は、天と地、意識と無意識という領域を結びつけるものであり、霊感をもたらすもの、あらゆる直観的知識の源泉、そこを通って神が地上に現れる道である』

マジシャン

惑星 「水星」

「知恵」であるメルクリス。世界を創造する「言葉」と「意志」。

流動性に基礎をおくすべての活動的伝達が象徴されている。

1という数字は、全ての数字の元になる単位の原則を示す。それは姿を現わさず、具体的なイメージが全くない所で活動がスタートし、そこからどんどん分かれて多様になっていく。

羽を持ったギリシャの神メルクリス。彼は利用可能な基本元素と、行為やコミニュケーションに必要な様々な道具を巧みに操りながら、悦に入った笑みを浮かべている。細い台の上で、優美にバランスをとっていて、物事を効果的に起こすには、微妙なバランスが必要という事を示している。

彼の視線はトキの頭に向けられている。トキは一本足で長時間立つ能力があるため、集中のシンボルとして使われ、エジプトの知恵の神トートを表すこともある。

頭上には、癒しの杖であるカドュセウスを形作っている蛇に守られたエジプトの翼を持った太陽円盤、聖蛇ウラエウスのシンボル。肩のあたりには、翼のはえた卵のシンボル。

彼の後ろの金色のサルは、エジプトの知恵の神トートと、インドで彼に対応するハヌマーンを表している。

『マジシャンは、フールから一歩進み、意識的な存在の最初の段階、子供の自意識の発生、その人生の始まりを示す。

 マジシャンの最初になすべきことは、自分の環境の中でいかに生きるかを学ぶこと。マジシャンは、自分のまわりの世界を探究し変化させるために知性と活力を用い、現状に満足せず、たえず意味と変化を探究し続ける人物である』

フール


元素 「風」 真空状態の「風」。権威ある無邪気。


数字の0は、ここから他の全てが発生。始まりも終わりもなく、まだ未分化の生命力。果てしない宇宙と永遠に制限の無い時間。

フールは、理性以前の、善でも悪でもない純粋な衝動。スピりチュアルな旅の始まりでもあり、終わりでもある。

ツノとブドウの房は、生の喜びとエクスタシーの神バッカスの象徴。トラは東洋では恐怖の象徴だが、彼が取り合ってないので、何の影響もない。ワニは、創造と破壊、始まりと終わりのシンボル。彼を取り巻き、心臓と結びついているへその緒は、一つ一つが全体との結びつきの異なる次元を表し、それぞれ独自のシンボルと結びついている。彼の手には、火のワンド、水のカップ、風のソード、バッグ一杯のディスクを持っている。彼は、彼から発し、彼に戻って来る虹に取り巻かれている。神聖なる意識の瞬間。

『愚者は、生命の周期へ進もうとしている所。彼は、何も知らない赤ん坊、自己表現の未知の可能性に直面している精霊。彼は、精神的な高みに立ち、これから、その周期を経て、それぞれの魂の旅をしなければならない。


旅をする中で、善と悪の間で選択をしなければならない。もし、哲学が無ければ、彼は”愚者”だ』

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